basketballcoach’s blog

~下手くそ選手がコーチを目指す~

Basketballcoach's BLOG

~下手くそ選手がコーチを目指す~

バスケコーチの重要性

f:id:basketballcoach:20170109210920j:plain

こんにちはヒューガです。

僕も今までに15年ほどプレイヤーとして活動してきたが、それはもう…様々なタイプのコーチのもとでプレーしてきた。

ひたすら怒鳴られ、走らされ、殴られた事だってある。

また、この人は僕に全く関心が無いんだなと思う程にアドバイスをくれなかったコーチもいる。

 

バスケ発展途上国である日本では、学生時代に部活動に所属していないとバスケに打ち込める環境は限りなくゼロに近い。

という事は、その部内でも大きな存在になるコーチが占めるウエイトは大きい。

 

恩師との出会い

僕は幸運なことに、恩師と呼べる方と高校生時代に巡り合う事が出来た。

恐い部類に入る先生ではあったが、僕に『考えるバスケ』の楽しさや大切さを教えてくれた。

また、『お前の下手くそなドリブルなんか見たくないんだよ』という言葉が『お前のアウトサイドシュートには期待している』という言葉の裏返しだと分かった時には涙が出るほど嬉しかった。

 

理想のコーチ象

やはり、自身の経験上、高校の先生の存在は大きく、理想像の大半を占めている。

 「チームが勝つために自分は何ができるだろうか」と常に考えていた。

身体能力が特別高い訳でもない僕が、今もバスケを続けていられるのは、このマインドのおかげだと思っている。

僕も選手に対して『気付き』を与えてあげられるようなコーチになりたいと思っている。

 

ミニバスは教えない

僕も何度かミニバスのコーチを依頼されたことがあるが、その度にお断りしている。

それは、ミニバスのコーチの難しさや大切さを分かっているつもりだからだ。

僕の周りには『勝利至上主義』のミニバスに所属していて、大学までバスケを続けた人間はいない。

逆に、ミニバスは弱小チームだったが、バスケの楽しさを教えてくれたと語った友人は

B.LEAGUEのB2で活躍している。

 

もちろん『勝利至上主義』を否定するつもりはない。僕も負けず嫌いだし、バスケが得点を競い勝ち負けを決めるスポーツである以上、勝利を優先する事は当たり前だと思う。僕がコーチをやったとしても、どうしたら勝てるかを考え、勝ち方を教えてしまうだろう。しかし『わざとファールしろ!』などの怒号が飛び交うミニバスの試合会場は異常だとも感じてしまう。

こんな考えからか、ミニバスのコーチをやれずにいる。

 

大切なのは『気付き』

どのカテゴリーにおいても、選手に気付きを与えられるコーチは優秀なのではないかと思う。

自身はミニバスの経験はないのだが、選手にはバスケの『楽しさ』に気付かせてあげられる事が大切だと思う。

 

中学時代には『向上心』を気付かされた。どうやったら上手くなるのかを寝ずに考えた日もあった。

 

大きなターニングポイントでもあった高校時代には、『チームの勝利の為に自分は何をすべきだろう』と考えることが大切だと気付かされた。たとえ試合に負けたとしても、自身のマークマンよりも多く得点をすることでどこか安堵し、気持ち良くなっていた僕。

こんなふざけたマインドを徹底的に叩き直してくれた。

 

練習生の時には『感謝の気持ち』にも改めて気付かされた。僕がプレーするために、どれだけの人が尽力して下さっているのかを再認識させてくれた。

 

もちろんコーチ(=監督)の存在や言葉だけで気付けた事ばかりではなく、環境なども影響しているだろう。

しかし、僕はそんな環境作りも含めて、選手に気付きを与えられる存在。

そんなコーチに僕はなりたい。

 

はじめまして、ブログ始めました。

当ブログにお越し頂きありがとうございます。

まずは、自己紹介。

名前は日向(ヒューガ)と申します。

首都圏に住む30代前半のサラリーマン。

週末は体育館にくり出すバスケ好き。

バスケは下手くそなものの、三日坊主の僕が唯一続けているもの。

 

こんな僕がバスケを通じて学んだ事などをシェアすることで、誰かの助けになればとの思いからブログを開始。

また、自身もいろいろ吸収し成長していきたいと思っている。

3流プレーヤーの僕が目指すは常勝チームのヘッドコーチ。

 

 プレー経歴

中学生の時にバスケと出会う。必ず部活動に入部しないといけない学校で、一番練習がキツイとされていたバスケ部に入部。まさかのドМ体質?

練習は真面目に一生懸命やっていたものの、上手くはなれず、強くもなく弱小でもない中学校でベンチを温める日々。悲しい事に中学の引退試合は出場時間ゼロ。

 

高校は公立ながらそこそこバスケに力を入れている学校に入学。そこで恩師と出会う。

『お前の下手くそなドリブルなんか見たくないんだよ』と怒られながら、アウトサイドシュートを猛特訓。小さい地区での選抜に選ばれる。しかし最後は『強いチームとも弱いチームとも接戦を演じるよね』と揶揄されながらの初戦敗退で引退。

 

高校卒業後はプロバスケットボール選手になりたく、某プロチームの練習生として練習に励む。アウトサイドシュートには自信があったものの、他の選手のレベルの高さに驚愕。

同時に今まで抱えていた腰の爆弾が爆発。動けなくなり選手としての第一線を離れる事に。リハビリを行いながら、バスケの勉強を開始。

 

その後もバスケが上手くなりたいという気持ちは薄まることなく、30代の今でも地元のクラブチームでプレイングコーチとして活動中。

 

その他経歴

日本公認審判免許取得

『バスケが上手くなりたいなら裏方を一生懸命やりなさい』との恩師の言葉。最初は嫌々やっていた審判だが、気が付くと面白くなっていた。審判資格を取得するとプレイヤーとしての幅も広がった様な気がする。先生の言っていた言葉の意味が少し分かった気がする今日この頃。

 

C級コーチライセンス取得

自身がケガをしてからはバスケを教える事に楽しさを覚えた。自身が『考えながらバスケする事』が好きなので、その必要性や重要性をチームに教えてきた。

中学女子チームのアシスタントコーチとして2年。その後、大学生チームのヘッドコーチとして2年活動。

 

観戦も大好き

毎年、オールジャパンウィンターカップは現地で観戦。

『派手なだけで身体能力任せのバスケじゃん』と食わず嫌いだったNBAも『そんなことないじゃん』と考えが変わり、少しづつだがテレビ観戦。